| 1901 |
2月 米国オレゴン州ポーランド生誕 |
| 1917 |
オレゴン農科大学入学 |
| 1922 |
同大学化学工業部卒 理学士取得 |
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カリフォルニア工科大学院で、X線回析を使用し結晶の分子構造の研究を開始 |
| 1923 |
エバ・ヘレン・ミラーと結婚し、最初の科学論文を発表 |
| 1925 |
数理物理学の副専攻と共に、カリフォルニア工科大学から化学博士号を受ける。 |
| 1926-27 |
ヨーロッパでグッゲンハイム奨学研究員となり、新量子物理学、同化学を研究 |
| 1927 |
秋カリフォルニア工科大教授メンバーとなる |
| 1930 |
グッドスミス氏と共に、「スペクトル線」出版 |
| 1931 |
有力紙に化学結合の本質について発表 |
| 1933 |
ナショナルアカデミーに選出される |
| 1934 |
生物化学研究の開始 ヘモグロビン中の酸素と磁気の交換 |
| 1936 |
プロテインの免疫システムと構造の抗体研究を開始 |
| 1937 |
カリフォルニア工科大学化学部 化学工学部主任に任命される |
| 1939 |
「化学結合の姿と、分子及び結晶の結合」を出版 |
| 1940 |
デルブルック氏と共に生物学的特性と分子定数について発表 |
| 1941-45 |
合衆国の戦時プロジェクトに参加(1948年に合衆国大統領メダルを受賞) |
| 1945-49 |
鎌状赤血球血色素分子病である事を立証:最初の分子病として記載 |
| 1946 |
核兵器に関して公表するため、アインシュタイン緊急会議に出席 |
| 1947 |
最初の教科書「一般化学」出版 |
| 1948 |
ポリペプチド・プロテイン構造のアルファ螺旋モデルの発見(1950-51発表) |
| 1949 |
アメリカ化学協会々長として誠心奉仕 |
| 1952 |
米国政府の反共風潮の煽りで、一時パスポート発行を拒否される |
| ☆1954 |
ノーベル化学賞受賞 |
| 1955 |
あらゆる戦争の終結を要求するため、ノーベル賞受賞者による署名を行う |
| 1956 |
過去10年間、知能遅れと精神病分野の生物化学研究開始 |
| 1957 |
妻エバ・ヘレンと共に核兵器実験廃絶の請願を科学者間で普及活動を行う |
| 1958 |
49ヶ国から1万1千の請願署名を国連に提出 |
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有名な著書「ノーモア戦争」を出版 |
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行動主義の理由によりカリフォルニア工科大当局の圧力で同大学理事を辞職 |
| 1961 |
核兵器普及を阻止するため、オスロで平和会議の組織を支援 |
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知覚喪失の分子理論を発表 |
| ☆1963 |
核実験停止と平和運動の功績により、ノーベル平和賞受賞 |
| 1964-67 |
カリフォルニア工科大学去り、民主主義協会の研究中心メンバーとなる |
| 1964 |
ロジャー・ヘイワード氏と共に「分子構造」を出版 |
| 1965 |
原子核構造の球面理論を展開 |
| 1966 |
健全な精神と肉体の健康長寿を促すビタミンへの感心 |
| 1967-69 |
二つの生物医学分野の提案、正常生体内分子論に基づく精神医学と医学 |
| 1969-73 |
スタンフォード大学で化学教授になる |
| 1970 |
著書「ビタミンCと風邪」ベストセラーになる |
| 1973 |
ライナス・ポーリング医学科学研究所設立 |
| 1975 |
ナショナル・サイエンス・メダルを受賞 |
| 1979 |
エバン・キャロメン医学博士と共に、「ガンとビタミンC」を出版 |
| 1981 |
妻エバ・ヘレン死去 |
| 1984 |
アメリカ科学協会の最高位置、聖ジョセフメダルを受賞 |
| 1986 |
「より長寿に健やかに生きる方法」を出版 |
| 1989 |
ナショナル科学財団よりぺネパール・ブッシュ賞を受賞 |
| 1993 |
ライナス・ポーリング研究所20周年記念を祝賀される |
| 1994 |
8月19日カリフォルニア州の自宅で死去. |